どこにでもいるおじさんブログ

孤独なおじさんブロガー

旧態依然の零細企業で5年間働いた話

 

昭和の価値観そのままに令和の世の中に実在する零細企業の話

 

僕は20代のほぼど真ん中の5年間、零細企業で働いていた。職種は建設業で従業員は6人ほどの小さな会社だ。ハローワークで見つけた企業情報では年間休日数96日と書いてあったので、おそらく日曜日と隔週土曜日プラス祝日が休みなのだろうと思われた。建設業界経験ゼロの僕は、漠然と人数の多い会社では仕事が細分化、固定化されていて、きっと自分のやりたい仕事が出来る頻度というか確率も低いと思ったのと、ハローワークで募集している企業にありがちな、一人親方にこき使われるような従業員0〜1人の超零細企業はやめておこうと思っていた。だから従業員6人のその会社に入社することに決めた。ちなみにもちろん面接は1次面接のみで社長と話をしただけである。唯一気になったことは、「職人の世界なので気難しい従業員もイルヨ。」という社長の意味深な忠告くらいだった。入社初日からいきなり他の従業員と現場に行かされたのは少し驚いたが、入社してすぐはとにかく体力的にキツイというだけで、思ったよりストレスも無く、まぁこんなもんか、という感じだった。しかし、徐々にこの会社のヤバい部分は露呈していった。そもそも社長が現場にあまり来ず、高級車に乗って謎の会合(毎週)や旅行(年20回程度)に行きまくっていて、社長は職人でもなんでもなく、ただの経営者のオッサンということにわりとすぐに気付いた。酷い時には1ヶ月の半分近くを旅行に費やしていた。おそらく、自分は働かずとも従業員が汗水垂らして働くことで、会社としては儲かっていたんだと思う。給与に関しては昇給がコンスタントにあったのは働く上でモチベーションも上がったが、そもそも最初の月給が低かったように思う。年収300万を超えるのに3年かかった。また、タイムカードも手書きで、残業をしても社長の気まぐれロマンティックで残業代が付いている(しかも数千円)というなんとも昭和チックな企業風土の異常さに当時はあまり違和感を覚えることは無かったのだが、せめてタイムカードのガシャンガシャンの機械くらい買えよと今となっては思う。ボーナスに関しても年に2回の年もあれば年に3回の年もあるというのも意味不明だった。しかも全部のボーナスを足しても基本給の1.2ヶ月分くらいだった。お賃金の話ばかりしてしまったが、休日もべらぼうに少なかった。年間休日数96日というのは真っ赤な嘘で実際は日曜日のみ。そのほかにゴールデンウィーク3日(日曜日プラス2日)、お盆休み5日(日曜日プラス4日)、正月休み9日程度で蓋を開けてみたら年間休日数はハロワの求人情報に書いてあった96日ではなく69日という印刷ミスだったのである(笑)一応、閑散期のみ隔週土曜日は休んでもいいという風潮はあったが、それ以外の月で毎月1日でも土曜日に休もうものなら、他の従業員から陰口を叩かれた。きっつーである。特に一番キツイと思ったのは社員旅行である。昨今では社員旅行に行く企業は少なくなっているが、昭和の零細企業体質をそのままに現在まで来ているこの会社にはもちろん社員旅行はあった。これも社長の気まぐれロマンティックで隔年に1回程度の頻度で開催され、だいたい旅の行程は2泊3日で有名な観光地に行ける&美味いモンが食えるというパターンで、そこだけ聞くとヒジョーにタノシー!!と思いがちだが、この会社の強み(皮肉)は従業員同士の仲の悪さだった。好きでもない上司と旅行。しかも従業員全員で6畳の和室に雑魚寝である(もちろん社長は一人部屋)。そして最も僕が怒りを覚えたのは金土日の2泊3日の旅行で日曜日に自宅に帰ったのは22時。その翌日月曜日は普通に仕事(5:30起床)だったということだ。そもそも、この会社の朝は早すぎた。会社から近い現場でも作業開始1時間前に出社である。誰かカイゼンしなさいよ。とにかく楽しかった思い出を長々と書いてしまったが、まとめると、仕事をしない道楽社長、手書きのタイムカード、気まぐれロマンティックな残業代、寸志に毛の生えたボーナス、日曜日のみの休日、早朝の朝礼、地獄の社員旅行といった時代錯誤も甚だしい、気まぐれ昭和チックな零細企業が、令和の現代にも存在するということを、このブログを通して理解してくれたら嬉しい。(所要時間1時間)